私の名前は不二子・キャスパー。本名は…
自分の周りで本当の「家族」というものを目の当たりにして私も家族というものに向き合おうと思い、少しの間日本へ行き自分の父に会ってきた。
父はそうね…許せなかった。
自分の生きた証を残すために日記をつけることにした。まずは私の生い立ちを綴っていこう思うわ。
私は日本で生まれた。すごく裕福な家庭であったが私が4歳の頃に父と母が離婚。幼い私と妹は母と共に母方の実家のある田舎へ渡米した。産まれてすぐの弟は父が引き取る訳ではなく施設に預けられた。施設の女の人の腕に抱かれ、泣き止まない幼い弟と別れるのが幼いながらに寂しかったかな…
アメリカでの私たちはすごく貧しい生活だったの。母は私と妹を養うため、学校へ行かせるために寝る間を惜しんで仕事をしていたから私が10歳の頃に目の前で冷たくなってしまった。すごく暖かい人だったから冷たくなってしまったのがとても悲しかったのを覚えてる。誰も助けてくれないという絶望感も感じたわね。
死んだ母が私と妹と弟の為にお金を貯めていたのを知っていたからそれを2等分して、弟の分は私が預かった。10歳ながらに「いつか弟を見つけて母の想いを託すんだ。」と決意したのね。アメリカでの生活はギリギリだったから、私はどうでも良いからせめて妹には学校へ行ってもらって幸せに暮らして欲しかった。そして家を出た。でも、10歳の幼すぎる私はあまりに非力で生きるだけで精一杯だった。行き着く先なんてだいたい決まってくるわね。私はデトロイトのスラム街に行き着いた。すごく汚くてホコリっぽくて澱んでいた。ゴミを漁ってはとにかく何か食べれそうなものを片っ端から口に詰めた。とにかく、とにかく生きるのに必死だった。今でもゴミ箱見ると色々思い出すわね…。
スラム街には私と同じような境遇の子やイカれた野郎、心のない人など色んな人がいた。様々な人が時に争い、時に支え合いながら必死に生きてた。すごく生を実感して日々を過ごしてたなぁ。幼ながらに私は盗みもやったし、大人になったらお金になることはなんでもやった。使えるものは全て使って…。
スラム街やダーリンのことは次回にしましょうか。
またいらっしゃい💋